プロレスの豆知識・ネタをご紹介 (武藤敬司)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは武藤敬司です。
本日はプロレスネタで投稿です。普段は試合についての解説を多くご紹介していきましたが、少し志向をかえて、プロレス選手や技も紹介していきたいと思います。
ブログの流れとしては、選手の簡単な解説をさせていただき、続いてぶんじろうがその選手で好きな試合や技などを紹介していくといった流れを予定しております。
是非、お付き合いくださいませ。
今回は私の大好きな選手の一人でもあります、武藤敬司選手をご紹介します。
Wikipediaの引用ですが、武藤選手のご紹介です。
武藤 敬司(むとう けいじ、1962年12月23日 - )は、日本の男性プロレスラー。WRESTLE-1を運営するGENスポーツエンターテインメント代表取締役会長。山梨県富士吉田市出身。山梨県観光大使。武藤塾塾長。娘はタレントの武藤愛莉。
1990年代から2000年代にかけてプロレス界を牽引した闘魂三銃士の1人で、「日本マット界の至宝」と言われる。
経歴としては新日本プロレス→海外修行→nWo JAPAN→BATT→全日本プロレス→WRESTLE-1旗揚げになります。
また、NWA、IWGP、三冠などのシングル、タッグ含めてベルトを獲得されています。
武藤選手を象徴するキーワードといえば、「天才(GENIUS)」ではないでしょうか?華麗な技を展開してプロレススタイルは観客を満足させるまさにプロの作品と呼んでも過言ではありません。WWEのスーパースターの一人でもある、ザ・ロックのピープルズエルボーの参考にしたとも言われています。
一つ一つの技にこだわりがあり、ラリアットなどはあえて使わず、独自に切り込み方で技を使っています。
代表的な技もありますが、私の象徴的に感じる技は「フラッシング・エルボー」と「スペースローリングエルボー」になります。動画などでもぜひ検索をいただきたいのですが、通常のエルボードロップはボディスラム→ジャンプしてエルボーのような内容ですが、フラッシング・エルボーはフライングメイヤー→ロープに走ってフラッシング・エルボーといった流れです。私が注目しているのはロープに走ってからエルボーに移行する瞬間です。隙を与えずに一瞬で相手に突き刺す流れがいかにも芸術的な作品のようです。また、コーナーロープに相手を振った際もラリアットやエルボーではなく、あえて側転をしてエルボーをする。※リスクは大きいです
スペースローリングエルボーなども非常にこだわりを感じます。どんなところが芸術なのか?というと、私は武藤選手の距離感だと思っています。皆様も体育などで側転をしたことがあると思いますが、あれって体の大きさややった場所によって着地地点が違うんですよね。武藤選手もコーナーの端からであれば距離が計算できるともいますので、やりやすいかと思いますが、時には端ではなく途中から走って側転のケースもあります。一瞬のうちに距離感を計算して相手のところにエルボーを放っています。
プロレスをそこまで見たことない方であれば、ムーンサルトや四の字固め、シャイニングウィザードを想像されるかもしれませんが、少し違った視点でみてみると別視点でも楽しめると思います。
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス ケンドーカシンvs成瀬昌由 IWGPジュニアヘビー級選手権)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは新日本プロレス ケンドーカシンvs成瀬昌由 IWGPジュニアヘビー級選手権です。
2001年10月8日 東京ドームのIWGPジュニアヘビー級選手権の試合のご紹介です。
ケンドーカシン選手といえばぶっきらぼうで問題児なイメージがありますが、
もともとはレスリング出身でレスリングテクニックはかなりの実力でもあり、ケンドーカシンになってからは腕十字を中心としたサブミッション系に非常に特徴をもった選手です。彼の独自技でもある、IVニーロックは非常にハイレベルなサブミッションかと思います。また、総合格闘技にも出場してハイアングレイシーにも勝利をしており、格闘技路線で行くのかと思いきや、プロレスに戻ってきたという、実はプロレスLOVEな方でもあります。
一方の成瀬選手はリングスに入団以降、2001年に新日本プロレスに主戦場をうつしてから金本選手を破りIWGPジュニアを獲得しました。防衛戦がこちらの試合でもあります。
この試合は26秒で終わっていますが、それ以上の凄さを感じた試合です。入場でカシンはマスクではなく、素顔の石澤で入場をしてきたのです。私も生でみていたのですが
叫んだのを記憶しています。ここがぶっきらぼうだけとカシン選手の盛り上げの魅力でもあります。そして試合開始から、成瀬選手は必殺のクレイジーサイクロンを見舞ったりなどしております。さらに追い詰めようとして際に一瞬にしてカシンの腕十字で終了となった試合です。試合あとはベルトやトロフィーを投げ捨て、賞状を破りなどしてさっさと退散してしまいますが、会見ではカシンのマスクで登場して、いつもながらのインタビューといった感じでした。
試合の長さだけではなく、その前後の盛り上げもプロレスを観る楽しみかと思います。
www.youtube.comjyuniakjyunia
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス 金本vsワグナーjr BEST OF THE SUPER Jr. 1998)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは新日本プロレス 金本vsワグナーjr BEST OF THE SUPER Jr. 1998です。
試合の特徴としては、1997年にサムライ選手に惜しくも敗れて優勝を逃した金本選手が昨年に続き決勝進出をして優勝を飾ります。一方で、ワグナーjrは初出場で決勝進出をいたしました。
ワグナーjrは父のドクトル・ワグナーの白のマスクを継承して「殺人医師2世」を名乗っているが、日本ではルードというより実力派の覆面レスラーとして知られています。近年は多色の黒や赤のマスクやコスチュームなども使用しています。
100㎏近い体重な一方で飛び技なども使用する一方、みちのくドライバーⅡやドラゴンスクリューなど他の選手の多くの技を器用に使いこなす選手でもあります。
試合は序盤から中盤にかけてはワグナー選手のメキシカン系のストレッチ技やパワーファイトに金本選手がおされるシーンが目立ちます。終盤もBTボムやラリアット、ダイビングボディープレスなどでワグナー選手が金本選手を追い詰めていきます。特にダイビングボディープレスはご覧いただくとお分かりになると思いますが、非常に重みのある一撃です。
はじめに記載をしましたが、この試合は結果的に金本選手が勝利をします。
そして、私が本日ご紹介したいポイントも試合の最後にあります。
それは決め技です。金本選手といえば前回のご紹介の通り、タイガースプレックスが決め技として使われることが多いです。その中でも、この試合でも最後はタイガースープレックスでした。ですが、この試合では固め方に特徴を感じました。
ご存知かと思いますが、体重の重い選手は高いところから落とせば、ダメージは大きくなります。通常であれば金本選手は低空でスープレックスを放つ事が多いですが、
この試合ではホイップ系で投げたあと、すぐさまエビ固めに持っていくといった、
通常の試合ではあまりみない、ホールドになっています。
試合一つ一つにドラマがあるように技の一つ一つにも特徴があるのではないでしょうか?
今後は試合の解説をメインにしてきましたが、プロレスの歴史や選手の技、大会などもご紹介していきたいと思います。
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス 金本浩二 vs エルサムライ)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは新日本プロレス 金本浩二 vs エルサムライです。
本日はプロレスネタで投稿します。
雨トークをご覧になった方はピンとくるかもしれません。
本日取り上げるのは、1997年BEST OF THE SUPER Jr.(ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア)の決勝です。この試合は金本選手 vs エルサムライです。
ご存知かもしれませんが簡単に選手紹介です。金本選手はなんといっても3代目タイガーマスクのイメージとシャープな動きでの空中技、元タイガーマスクならではのタイガースプレックスが特徴です。一方のエルサムライ選手は第一回 のTOP OF THE SUPER Jr. (トップ・オブ・ザ・スーパー・ジュニア)現在のBEST OF THE SUPER Jr.(ベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニア)の決勝にいったけれども優勝を逃した実力派レスラーです。しかしながら、マスクマンとしてはあまり目立たない存在でもあります。。
プロレス好きな方でエルサムライ選手が好きな方は多いのではないでしょうか?
ジュニアの中でもいぶし銀であり、かなりのテクニシャンですね。マスクマンのイメージといえばルチャに代表される華麗な動きをイメージする方もいらっしゃいますが、
サムライ選手はサブミッションやラリアットや投げも使いこなす選手としてのイメージが強いではないでしょうか?
最終的にはエルサムライ選手が金本選手に勝って、初優勝をかざりますが、最初と最後と大きな違いはやはり、マスクです(笑)
有名な話ですが、試合の終盤で金本選手がマスクを破ってしまって、松田納選手になってしまうという事件があります。
ここまでは、TVなどでもご紹介しておりますが、いつもならでは?ぶんじろうが感じたこの試合の魅力をご紹介させていただきます。
ポイントは二点あります。
一点目は試合序盤の10分です。じっくりとグラウンドでお互いを探りあって、関節を決めるという非常にオーソドックスですが、THEプロレスをしているなという印象があります。アームロックやヒールロックなど、じわじわあとからくる攻防が非常に魅力に感じます。プロレスの試合はそれぞれですが、約10~15分に終わることが多々ありますが、この試合は10分間もグランドをしているところが、珍しい印象があります。
二点目はなんといってもフィニッシュの大技三連発です。
通常であれば大技一発で決めるイメージが強いですが、雪崩式裏DDT→リバースブレーンバスター→裏DDTと畳みかけます。大技の凄さもありますが、先にご紹介をした、第一回から優勝に縁がなかったサムライ選手にとってはこの大会、試合に賭けた執念を感じられました。
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス 四の字固め)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは新日本プロレス 四の字固めです。
今回ご紹介したい技はデストロイヤー選手、リックフレアー選手の代名詞の四の字固めです。近年は数多くの選手がこの技を使っていますが、代表的な選手といえば武藤敬司選手や藤波辰爾選手がいます。
今回、ご紹介したいのは藤波辰爾選手の四の字固めです。
ご紹介する試合も非常に感動のある試合でもありますので、ご覧下さいませ。
早速ですが、解説をしていきます。
四の字固めは足を4の形にして足にダメージを与えるので足を攻める際に非常に有効活用できます。武藤選手と藤波選手は特技のドラゴンスクリューから入ることでフィニッシュへの流れができています。しかしながら二人には違いがあります。武藤選手は基本的にはドラゴンスクリューは基本的に決まった足にドラゴンスクリューをかけますが、藤波選手はキックの出た足に対してドラゴンスクリューをかけます。そのあとの四の字固めにも違いがあります。
※もちろんオーソドックスなやり方もありますので、その点はご了承ください。
藤波選手はドラゴンスクリューをかけた足を曲げて四の字固めをかけます。
武藤選手はドラゴンスクリューをかけたかけた足にかかわらず同じ足にかけます。
そんなの知ってるよという方もいらっしゃるかもしれませんが、もう一つポイントがあります。それは、足首です。
武藤選手の四の字は高田選手を破ったと時のようにがっちり固めているようにみえて、
藤波選手は浅くかけているようにみえます。これはあえて浅くかけているのですよね。
ここがポイントなのは藤波選手は四の字の際に足首に対してもロックをかけることにより、二重の苦を与えているというのがあります。ここが藤波選手のテクニシャンなところだなと正直いつも感じています。プロレス技も一工夫加えるとここまで変わるのか?
ということを実感します。
本日ご紹介する試合でもでてきますので、是非ご覧ください。
金本選手が憧れの藤波選手とシングルで戦うことになり、試合前から感無量の顔をしている姿を非常に印象・感動的です。
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス Mr.BD)
本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは新日本プロレス Mr.BDです。
今回は後藤達俊選手をご紹介します。コアのプロレスファンの方であれば注目する選手の一人ではないでしょうか?
ご存知ない方もいらっしゃると思いますので、
Wikipediaの情報ですが、新日本プロレスまでの来歴を記載します。
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来歴[編集]
デビューまで[編集]
名城大学附属高等学校、名城大学卒業。学生時代はウエイトリフティングで活躍し、インターカレッジ3位の成績を残す。大学卒業後、日産自動車に入社。1982年8月、アントニオ猪木が名誉会長をつとめる寛水流空手の初代会長水谷征夫の紹介により、26歳で新日本プロレスに入門。1982年12月2日、先輩である山崎一夫を相手に地元愛知県の豊田市体育館でデビュー。
若手時代[編集]
デビュー後の一時期、アントニオ猪木の付き人を務めていた。当時猪木の妻だった倍賞美津子からは「オダンゴちゃん」と呼ばれていた[1]。
ヤングライオン時代は橋本真也との激闘で前座を沸かせた。1985年、第1回ヤングライオン杯で決勝に進出するが負傷により欠場(決勝戦は小杉俊二 vs 山田恵一。後藤はその試合を無念な表情のスーツ姿で、観客に混じって観戦していた)。そのままNWAミッドアトランティック地区へ遠征し、桜田一男と覆面タッグチーム「ライジング・サンズ」を結成する。同年10月、ランボー・サクラダと改名した桜田とともに凱旋帰国するものの、初戦のタッグマッチでコンガ・ザ・バーバリアンのリフトアップ・スラムによって肩を脱臼し欠場。タッグチームはそのまま自然消滅した。復帰後は再び前座のポジションに戻ってしまう。すでに海外遠征経験があるにもかかわらず翌年の第2回ヤングライオン杯にも出場したが、決勝で山田恵一に敗れて準優勝に終わった。
ヒールターンと反選手会同盟参加[編集]
1987年には越中詩郎が負傷により返上したIWGPジュニアヘビー級王座決定トーナメントにエントリーされ、1回戦で小林邦昭に敗れる。この後もジュニアともヘビーともつかぬ扱いを受け、中堅のポジションに甘んじていた。しかし1989年10月に髪を金色に染めヒール・ターン。同じ中堅のポジションにいたヒロ斎藤、保永昇男とブロンド・アウトローズを結成し、本隊と対立。徐々に中堅戦線を湧かせるようになり、『ワールドプロレスリング』でも放映されるようになっていった。ブロンド・アウトローズには後にスーパー・ストロング・マシンが加入する。
1990年6月12日の福岡大会では、バックドロップで馳浩を一時的に心臓停止に追い込んだ。以後、バックドロップは後藤の代名詞となった。
ブロンド・アウトローズは後にレイジング・スタッフと名前を変えるが徐々に勢いが衰え、1993年10月、マシンとの対立により後藤が離脱。レイジング・スタッフは解散となった。後藤はそのまま反選手会同盟に参加。この時、それまでの金髪から眉毛までをも剃り落としたスキンヘッド姿となる。
平成維震軍〜犬軍団[編集]
反選手会同盟が平成維震軍と改名した後はメンバーとして活動。眉まで剃り上げるスキンヘッドで一時ブレーク。蝶野正洋や長州力にシングル戦で勝利したこともある。越中詩郎らとともにWARにも参戦し、越中・小原道由と組んでWAR認定世界6人タッグ王者となった。
平成維震軍解散後、後藤は小原と共闘。後藤と小原は人気絶頂であったヒールユニットnWoジャパンへの加入を目指す。しかし蝶野らに拒否され、背中にスプレーで“犬”の文字を書かれる屈辱も味わうが、後の「査定試合」で加入を認めさせる。しかし蝶野がnWoジャパンのTシャツを後藤と小原に着せようとした瞬間、後藤と小原は蝶野らにバックドロップを見舞って「そんなものは元々いらねーんだよ!」とのマイクアピールを行い、抗争継続となった。そして後藤と小原は「犬軍団」の名前で暴れ回った。
1999年6月27日には小原とともに佐々木健介・越中組からIWGPタッグ王座を獲得。維震軍時代のリーダーであった越中をバックドロップで破っての勝利だった。後藤にとって、新日本プロレスで唯一のタイトル獲得となった。控室に戻った際、祝杯用に缶ビールが2本しか差し入れられなかったことに怒った後藤が発した「何だこの2本は!!」はテレビ放映されたこともあり、有名な台詞となった。
TEAM 2000参加〜クレイジー・ドッグス結成[編集]
2000年2月、蝶野が新たに結成したTEAM 2000に後藤と小原は参加する。しかし2002年10月に蝶野が新日本プロレス本隊に復帰したことにより、TEAM 2000は消滅した。
2003年1月4日の東京ドーム大会で、後藤は小原、ヒロ斎藤と「クレイジー・ドッグス」を結成。後に中邑真輔、エンセン井上が加わり、魔界倶楽部との抗争が始まった。2月1日の札幌テイセンホールで開かれた「6人タッグ・トーナメント」では中邑、斎藤と組んで優勝した。
魔界倶楽部が解散し、小原とエンセンが新日本プロレスに出場しなくなるとクレイジー・ドッグズは自然消滅。2004年に後藤は新日本プロレス本隊へ復帰し、現場責任者に就任する。しかし2005年10月に新日本プロレスへ復帰した長州が現場監督に就任すると対立し、責任者の職を解かれる。その後は蝶野、天山広吉らの反長州勢力に合流した。
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といったプロフィールですが、やはり後藤選手で忘れてはいけないのはバックドロップですね、本日紹介する試合も後藤選手の凄さがでた試合でした。1発のバックドロップであそこまで試合を盛り上げることができるのは後藤選手の最大の魅力でないでしょうか?
バックドロップはプロレスでは昔から使われる代表的な技ですが、遍歴がありますね。
昔はおしりを抱えて前に走るスタイルから、鉄人ルーテーズようなヘソで投げるバックドロップなどあります。後藤選手はヘソ+捻りがポイントですね。もちろんヘソのみの時もありますが。
ここで是非、ぶんじろうの見どころとしては後藤選手は相手のわき腹から入り、捻りを加えて落とします。これにより馳浩選手が心臓がとまるという事態にもなりました。
捻りを加えるのは長州選手もですが、後藤選手は角度がエグイ!本日紹介するIWGPのタッグの試合で是非ご確認ください。
プロレスの豆知識・ネタをご紹介(2018年有馬記念 ブラストワンピース)
本日は競馬の豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは2018年有馬記念 ブラストワンピースです。
一昨日は有馬記念がありましたね。ホープフルSも残っていますが、
年内の競馬おさめを有馬記念で締める人も多いのではないでしょうか?
今年は牝馬三冠のアーモンドアイやダービー馬のワグネリアン、フィエールマンなど、3歳馬が正直少ない印象がありました。
また、今年の有馬記念は障害からオジュウチョウサンが参戦したこともあり、
別の見どころがあったのではないでしょうか?
そんな中、3歳での注目はハービンジャー産駒のブラストワンピースでしたね。毎日杯、新潟記念と重賞勝利はしていましたが、G1には恵まれていませんでした。
しかしながら、レイデオロなどの競合をしりぞいて、今年の3歳馬でレースを締めくくってくれました。
競馬はまだまだ白帯のみどころは、1着でも2着でもなく、3着でした。
やはりシュヴァルグランが魅せてくれました。
正直買うか悩んだ方も多かったのではないでしょうか?
今年引退を予定しておりましが、来年も現役続行となり、正直うれしい限りです。
何よりも、ボウマン騎手の騎乗が凄いと思っているが正直な感想です。
ボウマン騎手が騎乗をすると、3着以内に入っているのがまさに神業という感じですね。さすが世界のボウマン!!昨年の春・天皇賞を思い出します。
個人的には来年のシュヴァルグランの活躍に期待をしたいと思っています。
結果は下記でした。
着順 | 枠 | 馬番 | 馬名 | 性齢 | 負担重量 | 騎手 | タイム | 着差 | コーナー通過順位 | 推定上り | 馬体重(増減) | 調教師 | 単勝人気 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | ブラストワンピース | 牡3 | 55.0 | 池添 謙一 | 2:32.2 |
|
35.7 | 534(+4) | 大竹 正博 | 3 | ||
2 | 12 | レイデオロ | 牡4 | 57.0 | C.ルメール | 2:32.2 | クビ |
|
35.4 | 490(+8) | 藤沢 和雄 | 1 | |
3 | 15 | シュヴァルグラン | 牡6 | 57.0 | H.ボウマン | 2:32.4 | 1 1/4 |
|
35.5 | 470(+2) | 友道 康夫 | 9 | |
4 | 11 | ミッキーロケット | 牡5 | 57.0 | O.マーフィー | 2:32.7 | 1 1/2 |
|
36.6 | 472(-2) | 音無 秀孝 | 8 | |
5 | 14 | キセキ | 牡4 | 57.0 | 川田 将雅 | 2:32.8 | 3/4 |
|
37.5 | 506(+2) | 中竹 和也 | 2 | |
6 | 6 | サトノダイヤモンド | 牡5 | 57.0 | B.アヴドゥラ | 2:32.8 | クビ |
|
36.2 | 506(+2) | 池江 泰寿 | 6 | |
7 | 16 | サクラアンプルール | 牡7 | 57.0 | 田辺 裕信 | 2:32.9 | クビ |
|
35.6 | 486(+18) | 金成 貴史 | 15 | |
8 | 3 | モズカッチャン | 牝4 | 55.0 | M.デムーロ | 2:33.0 | 3/4 |
|
36.7 | 486(-4) | 鮫島 一歩 | 4 | |
9 | 1 | オジュウチョウサン | 牡7 | 57.0 | 武 豊 | 2:33.0 | アタマ |
|
36.9 | 514(+2) | 和田 正一郎 | 5 | |
10 | 4 | マカヒキ | 牡5 | 57.0 | 岩田 康誠 | 2:33.0 | アタマ |
|
36.3 | 504(+10) | 友道 康夫 | 12 | |
11 | 10 | ミッキースワロー | 牡4 | 57.0 | 横山 典弘 | 2:33.1 | 1/2 |
|
35.4 | 480(-2) | 菊沢 隆徳 | 10 | |
12 | 9 | リッジマン | 牡5 | 57.0 | 蛯名 正義 | 2:33.4 | 2 |
|
36.1 | 446(0) | 庄野 靖志 | 13 | |
13 | 13 | スマートレイアー | 牝8 | 55.0 | 戸崎 圭太 | 2:33.5 | クビ |
|
36.4 | 460(-18) | 大久保 龍志 | 16 | |
14 | 5 | パフォーマプロミス | 牡6 | 57.0 | C.デムーロ | 2:33.7 | 1 1/4 |
|
36.7 | 464(+10) | 藤原 英昭 | 7 | |
15 | 2 | クリンチャー | 牡4 | 57.0 | 福永 祐一 | 2:33.8 | 1/2 |
|
37.5 | 490(前計不) | 宮本 博 | 11 | |
16 | 7 | サウンズオブアース | 牡7 | 57.0 | 藤岡 佑介 | 2:34.5 | 4 |
|
38.2 | 504(+14) | 藤岡 健一 | 14 |