プロレスの豆知識・ネタをご紹介(新日本プロレス nWo japan)

本日はプロレスの豆知識・ネタをご紹介します。
今回のテーマは「新日本プロレス nWo japan」です。

 

プロレスを観たことがなくてもnwo蝶野正洋ときくとピンとくるかもいらしゃると思います。

 

あまりご存じない方のために簡単にnwoジャパンのご紹介です。

 

 nWoは「New World Order」の略称。アメリカ合衆国のプロレス団体「WCW」で誕生し、蝶野正洋によって新日本プロレスにも進出した。アメリカでは社会現象にもなり、日本でも爆発的ブームとなった1997年度には約43億円の経済効果があったという。さらに、その年度に「nWo Tシャツ」だけで6億円の売り上げを記録し、新日本プロレスが法人所得で娯楽部門85位にランクインしているとも言われております。

 

nWo JAPAN vs 新日本プロレス
新日本プロレスでは橋本真也佐々木健介らが本隊の中心としてnWo軍と抗争することになる。G1 CLIMAXでは健介が、IWGP王座でも橋本がnWoメンバーの挑戦を退ける。

蝶野とムタはWCW、新日本を行き来していたため、2人が抜けた時は圧倒的に不利な状況であった。さらにムタがメンバーとの仲間割れにより一時期離脱し、nWo解散の危機が生じるも、1997年9月に武藤としてnWoに加入することになる。

10月にはnWoタイフーンなる新シリーズをも開催し、そこで蝶野・武藤のタッグでIWGPタッグ王座の奪取に成功した。

 

また、年末のSGタッグリーグでも優勝を果たしている。IWGPヘビー級王座の奪取には失敗したものの、蝶野は1997年度のプロレス大賞MVPを獲得するなど勢いはnWoにあった。

 

1998年に入り、藤波辰爾IWGP王座取得や天龍源一郎の参戦→越中詩郎が当時率いていた平成維震軍との共闘により、標的を藤波や平成維震軍に向ける。武藤が膝の手術のため欠場しタッグ王座を返上することになるが、蝶野・天山組が新王者決定トーナメントで獲得に成功。

しかし7月のシリーズでの初防衛戦で天龍・越中組に敗れ王座転落となってしまった。

8月には蝶野がIWGPヘビー級王座の初戴冠に成功、第22代王者となった。

しかし、翌月のシリーズの途中、蝶野が首の負傷により長期欠場をすることになってしまい、王座返上を余儀無くされたものの、同シリーズの最終戦で蝶野の初防衛戦の相手に指名されていたスコット・ノートンが当時海外遠征から帰国して間もない永田裕志との新王者決定戦で勝利した。

 

今回の試合は1997年の試合で山崎一夫佐々木健介 VS 蝶野正洋武藤敬司の試合です。当時を象徴する試合でもありますね。

1997年といえば佐々木健介選手が目立った年ですね。IWGPヘビー、タッグ、G1クライマックス前人未到の三冠を達成しました。G1クライマックスの決勝でも本隊 vs nwoでもありました。天山選手を張り手で脳震盪にしたシーンが印象的です。

 

このころから武藤選手は膝の状態が悪く、テーピングを隠すためにロングタイツになりました。

 

前回のUWFとの試合もですが、武藤選手はレスリングテクニックとピンポイントでの攻撃が非常に魅力です。試合も結果的に4の字固めで佐々木選手に勝利をした。武藤選手の凄さの出た試合でした。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=KHhYG3g1xmQ